コンクールを終えて・・私がピアノの先生になるまでの話
インスタの方にも投稿しましたが、コンクールが終わりました。
できれば一度でもみなさんにコンクールに挑戦してもらいたいという思いがあります。
私がピアノの先生になるまでのお話しをしてみたいと思います。
私自身、ピアノが好きな子ではありましたが、器用でも、上手な方でもなかったと思います。
指の力が弱かったことと、どちらかというと今の小学生はとっても大人で、私は本当に子供っぽい子だったと思います。
幼稚園で先生がピアノを弾いてるのをみて、とても憧れを持っていました。
やっと習わせてもらえたピアノでしたが、始めたのは小学校1年生です。
そういうと、少し驚かれたりもします。先生となる人なら、3歳からやってましたみたいな人が多分圧倒的に多いのかなと思います。
習いはじめは親がどなたかから譲っていただいたオルガンで練習を始めました。
私は家に鍵盤楽器があるということだけで嬉しく思っていました。のちにアップライトピアノを買ってもらうのですが、3年生くらいだったかと思います。買いに行った先で電子ピアノや、電子オルガンの色んな音が出るのが面白くて、これがほしい!とも思いました。
でも、父親の考えは違いました、「ずっと続けるなら本物で練習しないと」ここで、父が私の意見を尊重して電子ピアノを買ったりしてたら、また未来が変わったでしょう。
ちなみに、両親は全く音楽に詳しくありません。そして、練習を見てくれたこともありません
アップライトピアノを買ってもらった私は嬉しくてしょうがなく、たくさんピアノを弾いていたと思います。ただ、当時はバイエルと、併用の楽譜だったので、特別面白い曲という感じではありませんでした。
どちらかといえば、自分には下巻のバイエルの頃には難しく合格するのも時間がかかっていました
ただ、レッスンに行くのも、ピアノに行くのも大好きでした。
私は音楽教室で習っていたので、数年に1度先生が変わっていました。
そんななかで、小学生のときに習った先生は、中学生になると、辞める人も多いから、
好きな曲を弾いたらよいと勧められ、特別教本とは関係ない曲を教わりました。
私は単純に音楽が好きだったので、それも楽しかったのですが、どこかで音大に行きたいなという気持ちも持っていました。ただ、小学校の担任が、音大に行くのはとても大変だから、よほどじゃないといけるものじゃないと言うような事を言っていて、自分には無理なんだろうなとも思っていました。
中学生になって、またグレードテストを受けたいなと思ったり、周りにピアノをやってる子がいて
コンクールに参加してる様子を見て、羨ましく思える時がきました。
どういう流れか忘れてしまいましたが、中学2年生の時初めてコンクールに挑戦することになります。
正直私はコンクールというもに参加できるという嬉しさと、たまたま友人も同じくコンクールに挑戦するということで、少しライバル意識もちながらも、圧倒的に自分が上手ではないというのは
実感していたので、とても自信があったというわけではありません。
練習はその頃頑張っていたと思います。
同じクラスの子2人と私で、音楽の先生にお願いして、休み時間にピアノを弾かせてもらったりもしました。
そうやって、挑んだコンクールでしたが、自分は賞に入ることがはありませんでした。
それでも、自分自身で頑張った事、友達と一緒に練習した事など、今でも覚えています。
当時の先生が、私がいう前に多分、音大目指すかどうかという事を聞いてくれました。
その頃の自分はそのようなレベルでは全くありませんでしたが、先生がそう聞いてくれた事で
私も本格的にその道へ進む事ができたのです。
たとえ、どんな子でも導き次第でどうにでも変われる。私はそう思っています。
余談ですが、インスタで先輩の先生に頑張ってるねと言ってもらったという先生が、この時の先生です!
まだ音楽教室に通っていた私はこのあと先生がまた変わります。
そこでの出会いが、私の進学先である、カワイ音楽学園という学校の存在を教えてくれた先生です。
当時の私はピアノの先生になりたいという方向に気持ちが固まりつつあったので、
ピアノの先生になるための学校というこの学校は自分にぴったり!と思ってしまったのです。
このとき、高校1年生です。
勉強があまりできる方ではなかったので、音大、音楽の短大に挑戦するという自信もなかったです。
その頃素直に他の学校を受ける事も検討できればよかったのですが、
自分はピアノの先生になるから、この学校でいい!と思った事が今となっては本当に良かったか、どうかそれはもうわかりません。
今では私の出身校は調律師養成校になっています。
カワイ音楽学園は静岡県浜松市にあります。河合楽器本社や、ピアノの工場があるところです。
私は1年間全寮制のこの学校で学びました。とても充実した学校生活で、ピアノや、電子オルガンの授業、私は選択科目で苦手だと思っていた打楽器アンサンブルを学びました。コンサートに行く機会も沢山与えてもらえ、授業では生のジャズ演奏なども聴く機会がありました。
その後、カワイ音楽教室講師になり、ピアノと、ドリマトーン(電子オルガン)、グループレッスンの講師をし、結婚を機に退社します。
実家で数名のレッスンを続けながら、今の場所に自宅を構えたのをきっかけに移転し、
ピアノ講師としては22年経つところです。
色々なきっかけが、その後の人生の何かに関わってきました。
コンクールに出たいというちょっとしたきっかけは、そのことによって、その子が
いろんな経験をしてくれる場であると思っています。
ですので、出場の資格があるなら、経験してもらいたいと思うのです。
多分、これからピアノの先生になりたい、なるという子はいない方が多いと思います。
ですが、ピアノを通しての経験はピアノをやってる人にしかできない経験ですので、
できる限り、多くの経験をしてもらいたいのです。
悔しいきもち、失敗したという経験そういう経験はしたくない事かもしれませんが、
そういう経験がやはり自分を強くするのだと思います。
どちらかというと、ピアノが上手得意という方ではなかった私が、ピアノの先生をしているという事が、素晴らしい技術を持った先生と比べると劣ってしまう部分だと思います。
ですが、私自身が苦手だとか、難しかった事をどうやって克服してきたかという過程と
その時の気持ちはよくわかると思っています。そう言った点でいえば、みんなに寄り添ったレッスンができるのではないかと思っています。
そして、ピアノの先生である以上、演奏をちゃんとしていきたいという思いもあり、レッスンも続けていますし、発表会では私も演奏するようにしています。
そして、小さな子がピアノを始めた時によりわかりやすく、楽しくできるよう、リトミック指導の資格を取得することを考え、取得を続けています。
ピアノを弾きたいという気持ちがそれぞれどのような方向で弾きたいかというのがあると思いますが、最終的には自分で楽譜を読んで好きな曲が弾けるようになる。だと思うので、
そうできるようにやっていければと思います。
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